株主価値最大化の鍵はバランスシートの適正化にあり
— 西川ゴム工業のPBR1倍達成に学ぶ資本戦略 —
東京証券取引所(東証)が上場企業に対して「資本コストを意識した株価の向上計画を策定せよ」と要請してから、もうすぐ2年が経つ。これまで多くの企業が「PBR(株価純資産倍率)1倍達成」をはじめとする目標に向けて試行錯誤を続けてきたものの、東証上場銘柄の約40%にあたる1,600社以上が依然としてPBR 1倍未満で取引されているのが実情だ。
PBR 1倍の達成は、多くの経営者が考えているよりも遥かに容易であると我々は考えている。過剰に膨らんだバランスシートを縮小し、その資金を増配や自社株買いに充てるだけで、大多数の低PBR企業はこの問題を迅速に解決できるはずだ。幾ページにもわたる複雑な経営戦略や長期的な計画を立てる必要はなく、保有資産を見直すというシンプルで直接的な行動を取るだけで、企業価値は短期間で劇的に向上する可能性があるのだ。
この点に関して、具体例を示すことは幾千の統計データ以上に説得力を持つ。今回取り上げるのは、わずか3日間で株価が112%も急上昇し、0.5倍であったPBRを1倍に乗せた企業の事例である。
西川ゴム工業(TSE:5161)は、年商約1,200億円のスタンダード市場に上場する自動車部品メーカーだ。今月、同社は決算発表にて二つの大胆な施策を発表した。第一に、次期会計年度から毎年、純資産の8%を配当として支払うこと(これは昨年度の1株当たり配当の約7倍に相当する)。第二に、2030年度までに総資産に対する純資産比率を63%から55%に引き下げることだ。この発表時点で同社のPBRは0.5倍だったため、純資産の8%を基準とする配当は予想配当利回り16%に相当する額だ。極めて高い水準の配当を示すこの具体的なコミットメントは、瞬く間に投資家の注目を集めた。
では、同社は今後数年間にわたり高水準の配当を実現するために、どのように資金繰りをするのだろうか。答えは単純明快だ。西川ゴム工業は、潤沢な現金保有額を削減し、約100億円相当の保有株式を売却する計画を打ち出している。決算発表前の同社の時価総額は約420億円だったが、バランスシート上には450億円の現金と310億円の長期投資が計上されていた。これらを合計すると760億円に達し、発表前の時価総額の180%に相当する。この過剰な手元資産だけで、2030年度までに総額470億円に達すると予想される株主還元の約束を実現するには十分すぎるほどの余力がある。
ここで重要なのは、この資本削減が事業運営や成長投資に影響を与えないという点である。西川ゴム工業は、2030年度までに営業活動によるキャッシュフローとして累計960億円を創出する見込みを立てており、そのうち640億円は成長を促進するための設備投資や研究開発に充てる計画である。この計画に基づけば、なおも多額の余剰資金が残り、他の戦略的施策に対する柔軟性が確保されることになる。
さらに、西川ゴム工業は、M&A(企業買収・合併)の機会に対して、積極的な有利子負債の活用も検討している。日本の低金利環境を踏まえると、これは極めて合理的なアプローチであり、資本コストを最適化しつつ成長を実現する戦略として評価できる。
依然としてPBR1倍未満で取引されている1,600社の日本企業は、西川ゴム工業の大胆かつ論理的な行動から多くを学ぶことができる。2023年3月、東京証券取引所が「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を発表した際、西川ゴム工業はPBR 0.3倍前後と、市場で最も低く評価されている企業の一つだった。昨年5月には対応策を組み込んだ中長期経営計画を発表していたものの、明確なビジョンや具体的な目標に欠けていたため、投資家の関心を引くには至らなかった。
この反省を踏まえ、西川ゴム工業は今回、具体的で実行可能な計画を打ち出した。以前の計画では不十分だった現預金の滞留や政策保有株の管理に対する課題を認識し、それに対処する姿勢を明確に示した点は注目に値する。他の企業が売上成長や利益率の向上といった漠然とした収益目標に終始する中、西川ゴム工業はバランスシートの効率化と株主還元に焦点を当てた透明性の高い見通しを提示した。
多くの企業は、資本効率に対する具体的な目標を設定することに依然として苦戦している。特に、非効率に使われている資本を自ら削減し株主に還元する方針を立てる企業は未だに少ない。しかし、東証のガイドラインの本来の狙いは、単なる売上や利益の拡大ではなく、投資家と目線を揃え、資本効率の向上を目的としたバランスシートの戦略的見直しを促すことにある。ROEやPBRは、大幅な利益成長を伴わずとも、資本効率を改善し分母側に直接働きかけることで向上させることができる点を日本企業は再認識するべきだろう。
西川ゴム工業の成功は、決して魔法のような成長や変革によるものではない。シンプルかつ論理的な戦略転換を通じて、達成可能な中長期目線でのコミットメントを明確に伝えたことが成功の要因である。このアプローチは、他の企業にとっても容易に実行可能であり、企業価値の向上と投資家の期待に応える有効な手段だ。
我々は、非効率な資産管理とは具体的に何を指すのかという認識が、日本企業の間で広く不足していると考えている。これは、日本と米国の上場企業のバランスシートを比較すると明らかだ。中央値で見ると、日本企業は時価総額の約33%にあたる額を現金で保有し、16%を投資有価証券などの長期投資に充てている。これは、政策保有株や過剰な現金保有といった株主にとって有害無益な慣習の存在しない米国企業にはほとんど見られない。この顕著な差は、以下のグラフが示すように、日本の中小型株企業において特に際立っている。
図1:日本と米国のバランスシート比較(現金同等物および長期投資の時価総額に対する割合の中央値)
出典:Verdad Analysis、S&P Capital IQ
中小型株(Japanese Small Caps):時価総額が10億ドル(約1,500億円)未満、大型株(Japanese Large Caps):時価総額が10億ドル以上。各棒グラフは、現金(Cash Equivalents)/時価総額と長期投資(Long-term Investments)/時価総額の中央値を別々に計算し、それを合計して表示している。
このデータは、日本企業に広く見られる資本の非効率性を浮き彫りにしている。多くの企業が、今までの西川ゴム工業と同様に、非生産的な資産の蓄積を続けているのが実態だ。資産を利益向上のために有効活用することなく保有し続けることは、出資者である投資家からすれば極めて非効率な資産管理である。日本の経営者は、純資産が簿価を下回って評価されている状態は、資本を効率的に活用できていないということの証明であり、改善すべき重要な課題であるという認識を今以上に持つべきだ。
さらに、東証が示唆しているように、PBRが1倍を超えている企業であっても安泰ではない。なぜ海外の競合企業がより高いPBRで取引されているのか、その背景にある要因を分析することが求められている。これは単に売上や利益の差異だけでなく、資本効率、株主還元、経営の透明性といった要素が絡んでいる可能性が高い。日本企業が本質的な企業価値を高めるためには、これらの要因を理解し、資本の戦略的活用に向けた意識改革を進める必要がある。
非生産的な資本の削減に加えて、西川ゴム工業が戦略的に借入を活用する姿勢は、成長を促進するための先進的なアプローチを示している。日本は米国に比べて低金利の環境に恵まれているにもかかわらず、日本企業は依然として保守的な財務戦略を採っているのが実情だ。過去10年間の分析によると、日本企業の中央値における「Debt-to-Capital Ratio(負債総資本比率)」はわずか20%であり、米国の40%の半分に過ぎない。
また、米国企業は積極的にレバレッジを利用して収益を生み出していることが数値にも表れている。米国企業の中央値では、インバース・インタレスト・カバレッジ・レシオ(利息支払い対営業利益の比率)が約13%であり、高いレバレッジを活用して収益を増大させていることがわかる。一方で、日本企業の中央値はわずか2%と低水準だ。これは、日本企業が成長とROEの向上を目的としてレバレッジを活用する余地が十分にあることを意味している。
図2:過去10年間における日本および米国の上場企業の「インバース・インタレスト・カバレッジ・レシオ(左)」と「負債総資本比率(右)」の中央値
出典:Verdad Analysis, S&P Capital IQ
日本では、借入を抑えることが健全な経営判断とみなされる傾向があるが、過度な慎重さは株主へのリターンを阻害する要因になり得る。資本効率を高めるためには、資本コストの観点から資本と負債のバランスを見直すことが必要だ。近年、加重平均資本コスト(WACC)を用いて資本コストを計算する企業も増えてきたが、資本構成を見直すことでWACC を抑えることを目指している企業はまだまだ少ない。例えば、株主が配当や株価の値上がりで期待する収益に比べて負債を利用して利息を支払う方が安上がりであるならば、自社株を買い負債を増やすというバランスシートの見直しがROEなどの目標達成において合理的な戦略であるという結論に至る企業も少なくないはずだ。
さらに、西川ゴム工業がM&Aを前向きに検討している点は、特に日本企業が米国企業に比べて伝統的に保守的な姿勢を取ってきたことを考慮すると、戦略的に重要な意義を持つ。我々の分析によれば、日本企業の中央値では、過去10年間の累計営業キャッシュフローのうちM&Aに充てられた割合はわずか1.2%に過ぎない。一方、米国企業では中央値で7.4%がM&Aに投入されている。
日本企業の慎重な姿勢は、日本においてM&Aの明確なメリットが確認されていることを踏まえると、合理的とは言い難い。我々の分析では、以下の図3が示すように、過去10年間で営業キャッシュフローの10%以上をM&Aに充てた企業は、M&Aを行わなかった企業に比べて、EBITDA成長率が中央値で2倍に達していることが明らかになっている。
図3:営業キャッシュフローに対するM&A支出比率別の10年間のEBITDA成長率(日本、2015 - 2024)
出典:Verdad Analysis、S&P Capital IQ
日本の上場企業の約4割がPBR 1倍割れであるということは、多くの企業が割安に評価されていることを示しており、戦略的なM&Aの好機が広がっていると捉えることができる。割安に評価された既存事業を取得することは、一から成長を築くよりも迅速かつコスト効率の高い手段であるはずだ。
大規模な株主還元を行わない理由として、「成長志向のプロジェクトのために資本を保持する必要がある」という説明が多くの日本企業の常套句となっている。しかし、この分析を踏まえると、なぜより多くの日本企業がM&Aを積極的に活用しないのかという疑問が残る。また、手元の余剰資金だけでは足りない場合は、低金利の借入を活用することでM&Aを行い、成長を加速させることも検討するべきだ。
西川ゴム工業の戦略は、東証のガイドラインに対する対応策にとどまらず、効果的な資本配分を目指す先進的なアプローチとして高く評価されるべきである。経営陣は常に資本配分の選択肢(現預金蓄積、維持投資、成長投資、M&A、債務の借入・返済、自社株買い、配当)をすべて考慮し、EPS(1株当たり利益)への寄与を含めた潜在的なリターンを徹底的に分析する必要がある。そして、最大の価値を創出するために、戦略を動的に調整しながら実行に移すことが求められる。
上場企業にとって、価値の創出は最終的に株主価値へと還元されなければならない。株主に対して価値を還元できなければ、経営陣は「なぜ上場という選択肢を取っているのか」と疑問を投げかけられることになる。資本配分に対する規律ある柔軟なアプローチは、戦略的な経営判断と長期的な価値創造に不可欠である。
西川ゴム工業の事例は、非効率に溜まっている資産を有効に活用して株主価値を高めるという、上場企業に求められる本質的な経営姿勢を示している。他の日本企業も、この戦略を参考にし、より有意義な資本配分を通じて市場の期待に応えることが求められている。さらに、伝統的な保守性から脱却し戦略的なレバレッジを活用することで、より高い水準の株主価値の創造を目指す時が来ている。
Verdad Advisers(ベルダッドアドバイザーズ)は、総運用資産11億ドル(約1,600億円・2024年末時点)を有するヘッジファンドです。日本株に対しては、バリュー投資を基本方針とし、PBR(株価純資産倍率)1倍未満の企業を中心に約130社に投資しています。
当社は、2014年にダニエル・ラスムセンによって創設され、米国ボストンを拠点としています。今年、ダニエルは自身の投資哲学をまとめた『The Humble Investor』を出版しており、近日中に日本語版も刊行予定です。
私たちは、より多くの日本の上場企業が企業価値の向上を実現することを期待しています。本稿が、皆様の経営方針を考える上での一助となれば幸いです。
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